「大人の名古屋」vol.18 に、
げんぞうアーカイブスの写真が掲載されました。

毎回、名古屋(ときに三河も)の魅力をさまざまな角度から紹介し、「行ってみたい!」を触発してくれる「
大人の名古屋」。
「歴史を知ると、街がもっと好きになる」と掲げられた第18号の特集は、「
街のルーツを歩く」です。
街道に寺社、企業城下町にサブカルと、地域ごとにその特徴がクローズアップされているのですが、
そのなかで
げんぞうアーカイブスが今回ご協力させていただいたのが、「八事」の一枚。
一大行楽地として鳴らした「
八事遊園地」の、在りし日の姿です。
八事遊園地は、八事電車を経営していた尾張電気軌道が大正元年、客寄せのために設営したもので、競馬やボート、猿園のほか、各種遊具を備えていました。
企業の運動会なども開かれたようで、上の写真は「名古屋逓信局逓信講習所」の陸上競技会のひとコマ。
昭和3年の写真です。
ちなみに次の一枚は、競技会の華・女子応援団。(こちらは未掲載)

今や知る人も少なくなってしまったレジャースポット・
八事遊園地ですが、平成2年まではバス停の名前として残っていました。
そのバス停、現在は「表山一丁目」になっています。
「
歴史を知ると、街がもっと好きになる」。全くその通りだと思います。
知っているはずの景色が、ちょっと違って見えますよ。
そんな示唆に富んだ
「大人の名古屋」vol.18、見かけたらぜひご一読を。
大人の名古屋 vol.18
阪急コミュニケーションズ/2012年9月28日発行
東海テレビ『スーパーニュース』で、
げんぞうアーカイブスの写真が使用されました。
10月18日放送の「キニナール」のコーナー、内容は「
幻の駅・愛知駅」。
明治29年に
関西鉄道が建設したのですが、その関西鉄道は明治42年に官営鉄道に編入されてしまうので、
わずか10年ほどしかなかった駅です。
現在の名古屋駅の約500メートル南に建っていました。
番組では、「名古屋駅とささしまライブ駅の間」と紹介されていました。

官営鉄道に負けてならじと、当時の名古屋停車場を見下ろす場所に建てられていた
愛知駅。
これは構内の写真ですが、外観はモダンなヨーロッパ風で、屋上には時計台がありました。
番組でも登場したその外観は、
『名古屋今昔写真集』第1巻でご紹介していますので、ぜひ見てみてください。
写真集制作当時も「大発見!」だった、貴重な1枚です。
※
『名古屋今昔写真集』お問い合わせ・お求めは
樹林舎 まで。
なぜこの
愛知駅にスポットが当たったかといえば…
保存・復原工事の完成で話題の
東京駅を作ったのが、建築家・
辰野金吾。
愛知駅は、その弟子であった
長野宇平治が設計した駅舎だったそうです。
もしかしたら愛知駅にも、東京駅のような意匠が凝らされていたかもしれません。
ともあれ、観光客からも人気を集め、笹島に賑わいを作った
愛知駅。
関西鉄道が官営鉄道に吸収され、廃止された後は、大正2年に
岐阜駅として移築されました。
この岐阜駅は、かつてのようなモダンな姿ではなかったようですが、戦災に遭うまで人びとに親しまれたそうです。
げんぞうアーカイブス は
美術館・博物館などでの展示にもご利用いただいています。
その一部をご紹介します。
「遥かなる衣ヶ浦のみなと―海運と産業の歴史―」 碧南市藤井達吉現代美術館 2012年1月24日(火)~3月4日(日)
出版物やテレビ番組では、写真画像のご提供というケースがほとんどなのですが、
この碧南市さんの展示では、
現物資料をご利用いただきました。

これは、高浜の神谷儀八瓦店さんが
大正時代に所有していた船
「猪山丸」の運賃目録です。
高浜港から東京・横浜への積荷、さぞかし瓦や土器製品が多いだろうと思いきや。
意外にも、白米、味噌、大根漬といった食品から、種土や硝子粉まで、実に多種多様でした。
この展示では、同じく神谷儀八商店所有の帆船
「京三丸」の運賃目録も出展されました。
また、撮影者のご厚意でアーカイブさせていただいている写真や映像、所蔵者から管理を任せていただいた写真などでも、展示のお手伝いをしています。
「汽笛一聲・安城駅120年」 安城市歴史博物館 2011年5月21日(土)~7月10日(日)
※開催時のご紹介記事は
こちら 知立市制40周年記念企画展「写真でたどる知立」 知立市歴史民俗資料館 2010年10月9日(土)~11月16日(火)
※開催時のご紹介記事は
こちら
名古屋今昔写真集 第1巻/2007年10月
第2巻/2008年 3月
第3巻/2007年12月
樹林舎 刊

制作担当:オフィスげんぞう。
げんぞうアーカイブスは、この本の制作から本格的に始動しました。
例えば、こんな写真を掲載しています。
(写真集では汚れなどがきれいに修正されています。)
大正3年に建設された「
名古屋国技館」。
4階建てで8,000人が収容可能という
日本最大規模を誇った国技館で、中では相撲やサーカス、芝居、演奏会などが催されていました。
ただ、交通アクセスが悪かったらしく興行は伸び悩み、大正12年頃に取り壊されてしまいます。
この建物が、現在の
名城小学校付近にあったとは、ちょっと驚きですよね。
また、写真集なのにこんなものも載せました(参考資料として)。

明治24年の濃尾地震で被災し、改築されてからは、長らくその姿をほとんど変えなかった
名古屋駅。
それがようやく現在地に新築されたのが、
昭和12年です。
これはそのときの
新名古屋駅竣工記念乗車券で、名古屋~豊橋間が3等1円14銭とあります。
名古屋っ子自慢のランドマークとなるクリーム色の新駅舎が描かれていますが、その向こうに
名古屋城と
熱田さんの鳥居が配されているあたりが、いかにも「名古屋!」という感じです。
※このほか『
名古屋今昔写真集』に掲載されている写真は
こちら(1 2) でも紹介しています。
その後も「この本に載せたかった!」という写真が少なからずアーカイブスに入り、名古屋の写真も充実し続けています。
写真集のお求め・お問い合わせは、
樹林舎 まで。
碧南市・刈谷市・安城市・知立市・高浜市の昭和の記憶を辿る
写真集『碧海の昭和』ができました。

初出写真てんこ盛り。
巻頭のカラーページから見所満載で、なんと昭和31年1月27日の
「衣浦大橋」開通式の日のようすが、
貴重なカラー写真でいきなり見開き紹介です。
また、コラムも充実しています。
「日本デンマーク」「依佐美の鉄塔」など、碧海では外せない事柄はもちろん、
戦時下の安城にあった
「明治航空基地」の物語、
かつて「東海随一」と讃えられながらいまや姿を消した在りし日の
「碧南の海水浴場」などなど。
そして、碧海の人びとが乗り越えてきた未曾有の台風災害
「伊勢湾台風」の記録・・・
東日本大震災後、誰もが復興に思いを致し、災害への備えを考えている今だからこそ、
この地域の人びとはあの状態を乗り越え、復興を果たしたのだということを、ぜひ写真で確認してみてください。
『岡崎・西尾の昭和』同様、
げんぞうアーカイブスからの写真もたくさん載っています。
くわしくは、発行元の
樹林舎まで。