先月4月1日に一色・吉良・幡豆の旧幡豆郡三町と合併、新たなスタートを切った西尾市の合併記念式典が、
今日5月12日、西尾市文化会館大ホールでありました。
昨年度1年間の合併協議会の動き、そして三町の閉町式などを、ずっと取材させていただいてきた私共。
今日の式典が無事に幕を閉じ、心からほっと致しました。
実は、式典で流れた「オープニングビデオ」の制作を、お手伝いさせていただいたのです。
上映のようす。ちなみに右はタイトル画面。市内吉良町「黄金堤」の桜吹雪です。 ご出演くださった市民の方々をはじめ、いろんな方がお力添えくださって完成した映像だけに、なおのこと、
会場から拍手が聞こえた時には嬉しく、ありがたく感じました。
新「西尾市」の門出に、少しはお役に立てたでしょうか。
ご出席の方々に、映像を通し、新「西尾市」の持つ新たな魅力・可能性を、改めて感じていただけたなら幸いです。
式典はこの後、榊原康正西尾市長の式辞に進みます。

いまや人口17万、面積ともども県下9位となり、海・山・川を併せ持つに至った西尾市。
式辞では、そんな新市の地域資源を活かし、西三河南部の中核的役割を担う都市として、
魅力あふれるまちづくりを進めていくと挨拶されました。
続いて、一市三町の首長や議長を務められた合併功労者への総務大臣表彰と、
合併協議会の委員として毎月のように意見を交わしていた26人の皆さんに、市長からの感謝状贈呈がありました。

また、来賓祝辞では、西尾市とは上塚橋(西尾市上町の「上」+碧南市鷲塚町の「塚」で上塚)を渡れば
すぐ隣の碧南市鷲塚地区出身で、高校時代は毎日自転車を走らせて西尾高校に通ったという、
大村秀章愛知県知事も、新市のまちづくりを応援。
農業、漁業、工業と、さまざまな産業があり、愛知を代表するような都市である新「西尾市」に、
愛知県全体を盛り上げてと期待をかけました。
ところで、司会を務められたのは、市役所秘書課の職員の女性。
ほとんど手元に視線を落とすこともなく、定員1200人の大ホールに集まった人々を前に
実に堂々と進められ、すばらしいことだなぁと敬服しました。
(は)
もう3月も終わりだというのに、なかなか冬物のコートやセーターを片付けられない、この春。
西三河各地でも「桜まつり」が始まっていますが、「もうお花見をした」という方は少ないのではないでしょうか。
そんな中、春らしい温かな日となった今週日曜日、美しい桜の一枝を見つけました。
大山緑地(高浜市)にて_2011年3月27日桜の名所として知られる、高浜市の大山緑地です。
日当たりのよい場所にあるこの木は、三分から五分咲きといったところでしょうか。
1,500本とも言われる大山緑地の桜。
この日は大半がまだまだ蕾でしたが、染井吉野より少し早い薄墨桜は花をつけていて、
その下にはお花見中の皆さんもいらっしゃいました。
今日通りがかった西尾市のみどり川沿いの桜も、ここ数日の陽気に誘われたのか、
ほんの一部ながら花を咲かせていました。
春はもう、すぐそこまで来ているんですね。
追い越されないように、日々少しずつでも歩を進め、新しい季節に備えたいものです。
2月17日から19日までの3日間は、吉良町ゆかりの文化人の、メモリアルデーです。
17日は、詩人・
茨木のり子の命日。2006年に亡くなりましたから、没後5年になります。
まず思い出される詩はやはり、
「自分の感受性くらい」や、教科書にも載った
「わたしが一番きれいだったとき」でしょうか。
いま再び、その作品が静かなブームを呼んでいるそうです。
父親は医師。その勤務先の大阪で生まれ、
お父さんが知り合いの山尾さんと西尾市で山尾病院を開業するにあたり、西尾市に転居します。
そして西尾小学校、西尾高等女学校(現・西尾高校)を卒業。
西尾高女在学中の16歳のとき、お父さんが吉良町吉田で宮崎医院を開業。
吉良町に移り住み、学校へは吉田の駅から電車に乗って西尾駅で降りて通ったそうです。
19日は、吉良町出身の作家・
尾崎士郎の命日です。ちなみに、誕生日も2月で、こちらは5日。
35歳で連載を始めた自伝的小説
「人生劇場」が出版されると、川端康成に激賞され、映画化・舞台化が相次ぎました。
昭和29年8月にも約1週間、映画「人生劇場 望郷編」のロケが幡豆郡一帯で行われ、
17日と18日には原作者の尾崎士郎も現地を訪れています。
当時は「三河吉田駅」と言った現在の名鉄西尾・蒲郡線 吉良吉田駅は、映画の中では「三州吉良港駅」。
尾崎も現地入りしたロケ当日、上から映画用の駅名看板をかけられた駅舎周辺の現場は、大変多くの地元の人びとで賑わいました。
その尾崎士郎が亡くなったのが、1964(昭和39)年の2月19日。
国はその前日に遡って
2月18日付で、文化功労者を追贈しています。
名鉄吉良吉田駅余談ですが、尾崎士郎と聞いて個人的に思い出されるのが、作家の宇野千代の話。
彼女と親交のあった瀬戸内寂聴さんが書いておられますが、
その才能と美貌で数々の恋人がいた宇野千代に「どなたが一番お好きでしたか」と尋ねたところ、
即座に「尾崎士郎!」の応えが返ってきたとか。
二番目も三番目も尾崎士郎とのことで、
もちろん面識はないのですが、「あの宇野千代が・・・」と思うと、ちょっと溜息が出ます。
タイムマシーンがあったら、昭和39年8月18日の三河吉田駅に行って、こっそりご本人を見てみたいのですが。
ホームページのリニューアルにあたり、社内の写真などを何点か撮影しました。
『げんぞう』が大事にしていて、かつ、得意としているのが「地域の歴史」。
本棚には、地元市町村をはじめ各地の新旧市町村史がやたらと並んでいます。
以前、ある方がご来社くださった際、
「この本棚って、げんぞうさんらしいね」と言ってくださり、
また、今回のリニューアルでもイチ押ししてくださったので、
気を良くして本棚の写真撮影に挑戦。
どうせなら見栄え良く…と、書架内模様替えに取り掛かります。
(もしかしたら、所狭しといろんな本が雑多に並んでいるところが
『げんぞう』らしかったのかもしれませんが。)
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