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羽田飛行場の旧景

羽田飛行場の旧景(大田区羽田空港2丁目・昭和13年)げんぞうアーカイブス所蔵

東京飛行場のユニバーサル機

これまで数回にわたって、名古屋港から水上機による民間航空路線を開拓した、安藤飛行機研究所をご紹介した。
昭和初期の日本の民間航空が、非常に小型の機体を使い、
現在よりもニッチな路線で展開されていたことがお分かりいただけたと思う。

一方、昭和13年当時、すでに国際線も運航されていた。
そこで今回は、当時の代表的な民間航空路線をご紹介しよう。
東京~大連間を結んだ日本航空輸送である。
まずは羽田を出発し、名古屋、大阪を経由して福岡まで飛ぶ。
さらにここから日本海を越えて、蔚山・京城(現ソウル)・平壌・新義州・大連まで結んでいた航空路線であった。
当初は羽田飛行場開港前で、立川飛行場を拠点していた。

写真は羽田飛行場で出発を待つ中島製のフォッカー・スーパーユニバーサル機(J-BAOC)である。
乗員2名・乗客6名で中島飛行機がライセンス生産した機体で、東京~大連間運行開始当初から活躍した機体。
その後、同じく中島飛行機がライセンス生産したDC-2(14席)や、それをベースに開発されたAT-2(8~10席)が登場するも、
スーパーユニバーサルは、扱いやすく、搭乗状況に合わせて運行されることが多かった。

ちなみに昭和13年当時、東京~大連間のうち東京~大阪間には週42便、大阪~福岡・福岡~大連間に、
それぞれ週28便も運航されていた。
写真は東京国際飛行場の駐機場で、出発を待つスーパーユニバーサル機の前に立つ乗客の男性。
当時の東京~名古屋間の航空運賃は17円
ちなみにコーヒー1杯が15銭、天丼が40銭という時代であった。










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