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熱田港にやってきたろせった丸

熱田港にやってきたろせった丸(名古屋市港区港町・明治39年)げんぞうアーカイブス所蔵

ろせった丸

ろせった丸と聞いて、直感的に名古屋港を思い出す人は、かなり名古屋の歴史に明るい方である。
というのも、七里の渡し(宮の渡し)として知られた熱田湊を、沖合の干拓地に移行させ、大規模な浚渫を行ったのが
現在の名古屋港の始まりである。
当時の浚渫事業には、国からの援助を得られないまま、多額の公費をつぎ込む愛知県に対し、県民からは非難が集中。
その批判をかわし、県民に港への興味を持ってもらおうと、画策されたのが
『ろせった丸』を舞台に、当時開催中だった巡航博覧会を熱田港でも開催することだった。

このとき、東海地方では武豊港と四日市港に立ち寄ったろせった丸。
四日市港まで出向き、船長に熱田寄港を嘆願したのは、若き築港技術者の奥田助七郎
その求めに応じて、急きょ実現したろせった丸の熱田港訪問。
会期中、なんと10万人が押し掛け、それを機に築港事業への反対もなくなったと云われる。

写真は熱田港に入港したろせった丸と巡航博覧会を、一目見ようと集まった人びとが列をなす様子が判る。
奥田助七郎が昭和28年に著した『名古屋築港誌』によると、ろせった丸入港当時、
「桟橋が未完成で土運船5艘を並べて俄か桟橋とした」という記述通り、土運船による船橋も写っている。
こうした事実が写真で確認でされたのは今回が初めて。
ちなみに熱田港は、この翌年名古屋市が熱田町を合併したことで名古屋港と改称される。

このろせった丸について詳しくは、6月22日(金)からキャッチネットワークで放送される
『東海の肖像』「名古屋港~日本一の貿易港のあゆみ~」をご覧ください。
なお、6月23日から2か月間は、ケーブルテレビ連盟Webサイト『じもテレ』でも視聴可能です。
「じもテレ 名古屋港」で 検索







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